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2017年12月16日土曜日

廣瀨区誌

明治になり明治政府は全国の郷土歴史書の編纂を奨励し、通常、この執筆は地方の学校の教師に任されました。庵原地区に於いても庵原村史の編纂が行われましたが、事前に各地区へ区誌の編纂を進めさせ、これらを纏めた物が庵原村史となったようです。 

広瀨に於いても区誌の編纂が行われましたが、これは分教場の教師であった畑芳太郎氏(後に増田姓)によって書かれています。「広瀨500年部落史」を発行した杉山久夫氏もこの廣瀨区誌を参考にしています。廣瀨区誌の発行(と言っても筆書きの冊子)は大正2年となっており、この歳に庵原村史も刊行されていました。

この時編纂された歴史書がその後の郷土史の元になっていると思われます。
 実は、ここ十年来、区内に存在しているはずの「廣瀨区誌」を探していたのですがこれがなかなか見つかりませんでした。しかし、「広瀨500年部落氏」の著者である久夫氏で家を新築されることになり、家内の整理をしていたところ、見つかったのがこの1冊でした。
何冊か出ている物と思っていたのが間違いで、印刷されたものではなく筆書きでした。庵原地区に提出されたもの以外に、同じように書き上げたもう一冊が区内に残っていた事になりますが、これが見つかった事自体奇跡に近い事です。何といっても書かれてから100年ほど経っていた中での、たった一冊だったのですから.....
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