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2018年4月2日月曜日

庚申塔建立の縁起

見出しのような書類が出てきました。これには発起人や、賛同者の名簿などが書かれていました。
庚申塔は60年に一度巡ってくる庚申の年に建立される記念碑のようなもの。

昭和55年(1980)が庚申の年で、この年に広瀬においては2基目ととなる庚申塔が建立されました。では一つ目はいつだったのかと調べてみたら江戸時代の宝暦2年(1752)に建立されていましたが、この年では60年周期で巡ってくる庚申の年とずれが出てしまいます。しかしこれは何かの理由があったのでしょう。

庚申塔建立の縁起と書かれたこの文書には庚申塔建立についての収支も残っていました。
それによれば庚申塔自体は石とこれに彫る字の彫代も含めて25,000円程で済んでいます。
あまりの安さにチョット驚きですが、今から三十数年前の相場はこんなものだったのでしょうか。

次の庚申の年は2040年
果たして22年後の庚申の年、この時、前回ののように皆が纏まって、新しい庚申塔を建立出来るのでしょうか。
<庚申塔建立の縁起のpdfファイルはこちら>

2018年4月1日日曜日

広瀬農道計画書

広瀬地区の農道工事は昭和30年代末期から始まりました。その初期の事業計画書が見つかったのでpdfファイルにして保存しました。 その当時の工事単価なども分かり、見ていてもそれなりに面白いものです。
ミカン栽培の好景気に押されて始まった農道工事でしたが、昭和50年代初頭までに完成した農道は最終的に12,000mを越える総距離になりました。
しかし、昭和47年のミカン大暴落以降、後継者もいなくなり、ミカン園の荒廃も進んでかなりの面積を占めるようになってきました。特に平成元年に実施されたミカンの減反政策により多くのミカン園が廃園となりました。

それから約40年、農道そのものは市に移管され、広瀬土地改良区は農道の管理組合になりました。
現在の一番の問題は、先人たちが将来の為に造った農道でしたが、これを利用する農家そのものが10軒程度になってしまった事です。時代の流れとはいえ、この変化の激しさには驚くばかりです。
<農道関連のファイルはこちら>